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制作裏話

Part2.初めてのゲーム開発はイバラの道

制作裏話

『空母決戦』ディレクター

[石川]:前回は、谷村さんがPCゲームを作ろうと決意したところで終わりましたが、まず、最初にどんなところから取りかかっていったんでしょうか?

[谷村]:もう3年くらい前になるんですけど、最初はビジネスソフトを地元長崎の開発会社とジョイントで作ったんですね。

[石川]:ビジネスソフト?

[谷村]:CADとかそれから数量を引っ張りだしたりとか写真管理の奴とか、本業の方で使う奴です

[石川]:それは、 そこの会社と次にゲームを作るための肩慣らしみたいな感じで?

[谷村]:ええ。だけど、ゲームの開発を始めたら頓挫した(苦笑)。

[石川]:(苦笑)

[谷村]:結局、ゲームの経験がないので、なかなかこっちの話が伝わらない。そのあとも、別の会社とか、いろいろと紹介していただたりもして貰ったのですが、話の焦点が会わない事が多かったです。

[石川]:話をした会社さんというのは、ビジネス系とか受託系?

[谷村]:そうですね。ゲーム開発経験のある会社はなかったです。

[石川]:開発チームを大星内に立ち上げようとは思わなかったんですか?

[谷村]:作るノウハウが無い組織でインフラだけ持ってても失敗するだろうと。あと、今のゲーム市場の作り方売り方に対する疑問が強かったので、その意識を共有できるメンバーでチームを組めないと成功できないだろうというのもありました。

[石川]:で、そういう状況の中でどうされたんですか?


『空母決戦』プロデューサー

[谷村]:とりあえずPCゲームのパブリッシャーさんのアドバイスをいただいたり、地元でソフト開発や販売をやっていた方のアドバイスを受けたりしているうちにあっという間に一年すぎました(苦笑)。

[石川]:なかなか進まなかったんですね。そこからどうしたのですか?

[谷村]:全くの偶然なんですがエレメンツに電話してみました。

[石川]:ああ、そこからウチとつながるんですね(笑)

[谷村]:ええ。ちょうど、その前に福岡に来る事が重なってて、福岡に開発拠点を変えようかと考えていたんです。

[石川]:福岡に変えるというのは、長崎だと無理だけど、行きやすい距離の中で開発スタッフが見つけられそうな所として?

[谷村]:それもありますがGFF(※1)の活動を話としては聞いていたので、将来的にも出て行く価値があると感じてました。ただ、エレメンツへの電話がつながっていなければ変わってたかもしれません。

[石川]:どうして、ウチに電話してきたんでしょう?(笑)

[谷村]:それもGFFがらみなんですが、GFFのサイトにエレメンツの情報がのってたんですね。石川さんの事は、昔「大戦略」とかが好きだったんで、知ってたんですが、今でも福岡で仕事しているとは思ってませんでした。そのGFFのサイトを見るのも別の会社さんのサイトからで、それをみたのもたまたま福岡へ出張していた宿泊先からで、じゃあ今福岡にいるし、電話してみようかと。

[石川]:ほんとにすごい偶然だ(笑)。それで、谷村さんがエレメンツに連絡してきて、具体的な話が始まるんですが、そこでも、私からいろいろ言われて、苦労の連続は続くわけです(笑)

[谷村]:(苦笑)

[石川]:ということで、次回はそのあたりの話も交えて、なぜ空母戦のゲームになったのか、といった話をしたいと思います。

※1:福岡と九州のゲームシーンを盛り上げるべく地元のゲーム会社が集まって結成された団体。(公式サイト:http://www.gff.jp/

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