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『ゲーム視点から見た戦国の武士団』 とは 4 years ago
-戦国時代と武士団の存在を知ってもらう為のツールとして-

現代では、戦国時代とゲームの世界は密着な繋がりがある。
それは戦国ゲームから、戦国時代へ興味を持った方が多いからだ。
またそうした方々向けの雑誌も、数多く出回る様になった。

ゲームであれ、雑誌であれ、売る為の仕掛けは必要だ。
その為に俗説を誇張し、興味の対象を煽る事は、普通に何所もやる事だろう。
よく見かけるのは、30年ほど前の俗説を用いた手法である。

それらは明治初期に形成され、戦後、メディアの普及と共に、国民へ浸透したものなので根強い。
こうした展開は、創作物と考えると別に何も悪くは無い。
ただこれまでずっと感じていた事は、何故そこから進歩しないのだろう、という疑問である。

確かに俗説を否定する事は、読んでいる読者の気持ちを、必ずしも良くするとは限らない。
だったら俗説を使い続ける事は、商売上得策であると言える。
しかしながら、そこへ切り込みたいと思って作ったのが、アナログゲーム『信玄上洛』だった。

そのゲームもデジタル化され、今般、エディタの展開で自作シナリオの作成を促した。
シナリオを作るなら、その作成者は世界観を構築しなければならない。
そこで、ゲームが用いた『中世という時代』を解説するムックを作成する事となる。

-中世という時代に存在した武士団-

武士の歴史は、まだまだ研究が続けられており、その歴史の長さから不明な点も多い。
明治を近代に分類するならば、江戸時代は前近代であり、近世と分類される事が多い様だ。
つまり中世ではない。
ここで、中世と近世における武士像の違いを明確に定義しなければならない。
そうしないと、信玄上洛の世界観が理解できないからだ。

江戸時代の武士は、大名家に属する。大名家を企業とすると、武士はその社員である。
そう考えると、現代社会に近い社会システムと言えるだろう。
ところが中世は異なり、武士は武士団を形成し、村などその土地に定住している存在である。
そして、その土地へ定住する権利と、安全という保障を与えて貰える存在に帰属する。

これは荘園システムの名残とも言える。
土地を開拓した人々は、有力貴族や皇族、寺社へその土地を寄進し、使用する権利を得る。
有力者へ寄進する事により、外敵からの保障を得て、安心してその土地を使用できるからだ。
簡単にまとめると、これが荘園のシステムである。

その保障者の力が弱まり、荘園システムは次第に解体されていくが、土地の使用者は残る。
残った彼らが自分達で村を形成し、武士団と化していくのが戦国時代と言える。
よって、彼ら在地の武士団やその土地を、大名は勝手に村換えなどできない。
大名は決して絶対的権威の王様ではなく、武士団もその奴隷ではないのだ。

戦国時代、主君を鞍替えした武士がいるとされるが、それは別に変な事ではない。
保障してくれる存在に付くのが当時の常識であり、江戸時代以降の感覚とは異なるのだ。

よく武田信玄は、武田二十四将の中の一人であるという解説がある。
これが当時の社会を良く物語っいる。
在地武士団のリーダーが、武田宗家だという事で、武田は彼らの意思を尊重する必要があった。
自分達の意志を尊重してもらえず、安全の保障ができないのであれば、彼らは勝手に離れて行く。
勝頼の最後もこの展開で訪れており、当時の社会としては別におかしな事ではない。

-中世の近世の転機は太閤検地-

では、この中世と近世の境は、一体どの辺りなのだろう。
前期の通り、近世の武士は大名家に紐付けされるが、中世の武士は土地に紐付けされている。
これを基準とするならば、その境は太閤検地となる。

豊臣秀吉は統一事業のひとつとして、全国の土地の価値を図るのに『統一の石高』を用いた。
これで土地の価値は、石高の大きさで図られる様になったのである。
つまり、石高の大きい土地へ移動する事は、出世や豊かさの象徴へ変化した。

この事で武士の配置展開が容易となり、土地との縛りつきが薄れていく。
その土地の武士団が消滅し、武士として大名家に仕える時代が訪れ、江戸時代を迎える。
この事をお伝えする事で、信玄上洛の世界を認識し、シナリオ作りに勤しめればと考えた。

通常、ゲームの世界では、兵隊はプレイヤーが自由に扱える場合が多い。
作り手が分かっていてやっているのであれば、その作り手の感覚は理解できる。
およそ、そうした前近代的な軍隊の扱いが、現代人の感覚に近いからそうしているのだろう。
だが、他所がやっているから同じ様にやっている、という場合もある。

ともあれ、そうしたゲームが多いので、兵隊は自由に扱えるという固定観念は存在する。
信玄上洛のシステムでシナリオを作る場合、この固定観念が邪魔をするだろう。
そうならない様に、お伝えする事はお伝えする、というのが本書の主旨である。

-シナリオ作りから歴史への興味へ-

こうした点を厳密に考えると、桶狭間から関ヶ原までを統一のシステムで再現するのは難しい。
そう考えて関ヶ原まで再現する事を辞め、中世・戦国に絞ったシステムを取った。

また勝利条件においても、様々な条件を設定できる様にした。
上洛からエリアの制圧、その制圧したエリア数、指定勢力の消滅などである。
こうして、自作シナリオの幅を持たせた。
理由は-戦国という時代へ-更に深い興味を持っていただく事を第一に目指したからである。

-鈴木銀一郎先生のインタビュー-

今回も前作に続き、鈴木銀一郎先生のインタビューを4ページお願いできた。
信玄上洛で採用した「ソリティアシステム」への見解である。

自分の中でも、ソリティアシステムへ踏み切れたのは『日本機動部隊』のシナリオにあった。
ゲームの中でソロプレイの艦隊戦シナリオがあり、チュートリアルの真珠湾もあった。
この経験が30年経って、今に活きている。

当時、一人でもプレイ可能な安心感から、購入に踏み切れたと記憶している。
ミリタリー系のゲームで、自分で購入したのはこれが最初だった。
そこから30年近く経って『空母決戦』へ続く。

その空母決戦で、鈴木銀一郎先生と出会う事で出来たので、その時の想いに近い事を残したい。
この強い思いから、インタビューの記事が実現できたのである。

2013年11月17日、今後も歴史とゲームの繋がりを持つ製品を作りつづける事を誓う。


関連リンク
『ゲーム視点から見た戦国の武士団』公式ページ
『空母決戦』公式ページ
『信玄上洛デジタルアプリ版』公式ページ
Si-phonBoardGame公式ページ
Si-phonDigitalAppli公式ページ


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