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ゲームとスポーツと人生 について 9 years ago
-ゲームの概念とは-

元来、ゲームとスポーツの語源は同じものらしい。
ドイツ語とラテン語にそれらはあるという事だ。
ただしこれらを示す、明確な日本語は存在しないだろう。

数々の外来日本語を創作してくれた福沢諭吉も、この言葉は作れなかった。
少なくとも娯楽や運動は、これらを示す日本語として適当ではない。
ではこれらの概念とは、一体どのようなものなのだろう。

ゲームとスポーツに共通するのは、お互い、決められたルールの下で競い合う。
そして重要なのは、その結果を得る事である。これは勝敗という結果だ。

-どうして結果が重要なのか-

スポーツの世界から、特に負けた時に良く聞こえてくる言葉がある。
がんばったんだから」「参加する事に意義がある」「勝敗の結果はどうでも良い」等の類のものだ。
だがこれはどうかと思う。
恐らく、半分は当たっているが、半分は間違っている。

どういう事なのかというと、見解の受け止め方によって、間逆の影響を与えてしまうと感じるからだ。
勝敗の重要性、それまでの過程の困難さを理解している方にとっては、正しい使われ方と言える。
だが、がんばったんだから~に続かれると、ぐぅの音も出ない。
この言葉の先にあるのは、何なのだろうと思うからだ。

工夫する努力が大切-

ゲームとスポーツの世界は「勝つから楽しい、負けるから悔しい」そんな単純な世界なのだろうか。
勝負という目標があるからこそ、勝つための「工夫と努力」を行うのである。
その目標がなければ、それはただの時間つぶしに過ぎない。
確かに単なる時間つぶしと考える人にとっては、ゲームやスポーツは娯楽や運動なのだろう。

みんなで仲良く一等賞」等という教育発想も、こういう所から生まれていると思われる。
だが目標がない世界において、果たして工夫や努力という発想が生まれるのであろうか。
勝ちたい、負けたくない、という気持ち以前に、工夫する努力の方が重要なのだ。

-人生の縮図としての利用-

勝負に勝つ事から生じるものは意外と少ない。一時的な満足感くらいである。
だが、負ける悔しさから生じるものは、これこそ多いだろう。
その反省点から次へ繋がるものがあるからだ。
そして、その積み重ねが「経験となり強さとなる」のである。

ここへ「人生の縮図としての世界」がないだろうか。
負ける事が可哀想だから、皆へ仲良く一等賞を与える教育。そこかは何も生まれない。
勝ちたい、負けたくない、という感情から、次への繋げ方を感じ取る事が重要なのだ。

弊社のゲームにおいて、コアなユーザーからプレイ時間が短すぎる。とお叱りを受ける事がある。
これは基本設計の一つに、リロードゲームではなくリプレイゲームを目指している事からきている。

プレイ中、どうしても自分に都合の悪い判定結果が出る事がある。
たからといって、そこでリロードしてプレイするのではなく、リプレイ時に経験則として反映して欲しい。
結果を知る事で次への繋げ方を研究して欲しい。そうした気持ちからの仕様なのである。

よってプレイ時間を何時間にするかは、一番最初に決定する。
思いつく仕様を押し込んだ結果、一回のプレイ時間がとてつもない時間になる事は避けている。

日本では未だに、いい歳した大人がゲームをしていると、鼻で笑う頭の堅い方々も多い。
そうした雰囲気から、この趣味を表に出す事を躊躇う方もいるかも知れない。
だがここまで展開してきたように、人生の縮図を表したコンテンツとして、また語源もスポーツと変わらない。
そして歴史と繋がる趣味であり、被害を与える事なくその再現性や、可能性を模索できるツールでもある。
こうした事からゲームという趣味は、大人であっても、もっと堂々と表現して良いのではないだろうかと思う。

2011年3月21日、関東東北大震災の復旧活動のニュースと共に、諦めない大切さを伝えたい。