Si-phon Game Club (SGC)Simulation Game & Column (SGC-シミュレーションゲームとコラム-)

| Si-phon トップページへ | 表示 | | 管理 | 分類 | 履歴 |
関ヶ原の戦い について(第三部) 9 years ago
-暗闇の行軍-

赤坂の陣にて、家康のもとへ「西軍動くの報」が入る。
家康から見ると、三成は秀忠隊が到着する前に、戦線を後退させ、立花宗茂軍との合流を急いだとでも見えたのだろう。
後退中の三成軍を追撃し、後詰が殿軍になったのか、残った毛利軍を降す絶好のチャンスだと写ったに違いない。

この戦いのキモは毛利の降ろし方である。それによって、五大老のシステムを瓦解する事ができるのだ。
このシステムが瓦解すれば、もはや既存の政権に、徳川を凌ぐ勢力が形成される事もないだろう。

という事で、まずは三成を追撃する為に、前軍を福島隊や黒田隊など、特に三成憎しの感情強き諸将で編成。
中軍は毛利を降す為、家康自らがあたり、後軍は秀忠隊の到着までを繋ぐ為、浅野隊などを当てた。
ゲームジャーナル32号の図表を見るに、こんな陣立てであったのだろうか。

-霧の関ヶ原-

何時の時代も、ただの仕事ではなく、特に気持ちの入る仕事というものがある。
こういう時は、得てして「思った以上の成果」がでるものだ。
東軍先鋒衆(上記の前軍)の多くは、三成憎しの念を抱いている。暗殺計画まで実行していた人物も多い。
しかもちょっと前まで、朝鮮半島で戦っていた歴戦の兵ぞろいなのだ。戦果があがっておかしくは無い。

そうして朝8:00、進軍を続ける先鋒衆の前に立ち塞がったのは、退却中の三成軍ではなく、陣取った西軍であった。
大筒も用意されていたという。三成憎しの追激戦のつもりが、なんと遭遇戦である。
こうなると立場は逆転し、如何に勇猛果敢な福島・黒田隊と言えど、流石に苦戦する訳だ。
また続々と、後続の部隊が戦線へ到着するも、容易に突破などできる訳がない。

この時点で、家康本隊も未だ行軍中であり、最前線の遥か後方に位置していた、というのがこの説である。

-秀秋の苦悩とは-

東軍先鋒衆の苦戦は続く。家康からすると、ここに来て大きく予定が狂ってしまう。
追撃戦のつもりが、なんと遭遇戦となってしまい、戦闘が始まってしまったばかりか、逆に押されているではないか。
家康は松尾山の小早川秀秋へ、早く参戦する様、強く促す。

ここで、秀秋の立場で考えてみる。
そもそも三成に加担する気は毛頭ないので、三成から援軍要請があっても、耳を貸す必要はない。
これまでの経緯で、家康や黒田家には借りがあっても、三成には恨みしかないのである。
まして目の前には大谷隊が、こちらへ向けて陣取っているではないか。信用もされていない。

秀秋にしてみれば≪そこに居るだけで≫毛利が降参し、戦いは終わるハズであったのだろう。
そういう話だったのかもしれない。そしてここで、宇喜多隊へ突撃するなどという話は想定していない。
ちょっと前までは、一緒に戦っていた仲なのだ。

しかし、肝心の毛利の動きが分からない。
東軍劣勢の中、秀秋が西軍へ参戦し、毛利が東軍へ参戦したら、それこそ馬鹿を見るではないか。
器量に劣るとは言われていても、そんな判断が出来ない程の馬鹿ではない。
家康から使者がこようが、とりあえず毛利の動向が判断できないと、動きようが無いのが実情なのだ。

-霧が晴れた後で-

家康としても、無駄に歳を食っている訳ではない。むしろ老獪な部類であろう。
秀秋が動かない理由は分かっている。西軍に付くのであれば≪西軍優位な内に≫既に付いているハズだ。
三成へ加担したくないが、東軍として参戦するには、今は時期が悪い。そんなもんだろう、と。
だが前日までは、毛利を降せは終わる戦いであったが、今となっては、小早川が参戦しないと勝てない戦いとなった。

家康としてできる事は何だろうか。毛利が動かない事を実証し、自らも戦場へ赴く事だ。
それも「松尾山から見える位置」に。
その為には、危険であるが毛利の前を横切り、進軍を続けなければならない。
吉川へは「空手形ならぬ空弁当を食わせ」つつ。

結果、毛利は動かず、家康は戦場へ到達し、小早川の軍を睨み付ける位置に達する。
見晴らしの良い松尾山である。秀秋の陣から、その一部始終が見えていたであろう。
こうなってしまっては、参戦しないと身が持たない。西軍にも東軍にも属さなかったとみなされるであろう。
この瞬間、全てが決したと言ってみる。
見ているだけならまだしも、参戦した秀秋に対する宇喜多秀家の怒りは、相当なものであったという。

後、論功行賞により、秀秋は宇喜多秀家の岡山へ入った。
領民に慕われる政治を行ったといわれるが、これは、秀家への償いでもあったのかもしれない。
だが大きな恩賞と引き換えに、裏切り者というジョーカーを引かされてしまった。家康が上手だった。

-不明な謎へ対して-

家康からする関ヶ原とは何だったのだろう。
関ヶ原の戦いについては、豊臣vs徳川であるとか、豊臣の内紛であるとか、その様な話がよく出てくる。
論争などもあるのかもしれないが、どちらが正しいのかなど、どうでもよいではないか。

ドラマの主人公は勝利者たる家康であり、これを潰そうとした反家康勢力は、反三成という勢力に負けたのだ。
この反三成という勢力を、巧みに利用したのが家康であり、シナリオ通りには行かなかったが、天下餅を手にした。
そうして「勝利者の絵巻」は完成したのである。

当然、シナリオ通りに行かなかった所は、謎にしておくしかない。
シナリオ通りに進んだとしても、闇の部分はあるのである。
だったら、せっかく謎を残してくれているのだから、いろいろな発想があってよいだろう。
今回のこのコラムも、ゲームジャーナル32号『霧の関ヶ原』があってこそでもあり、この遭遇戦の話も、もしかしたら、
バルジの戦いなどの、渋滞ルールからの発想なのかもしれないのだ。

こんな思いがあったので、今回は、話を膨らませてみた。

(三部完)

第二部はこちら
第一部はこちら